新陰流は上泉伊勢守(1508~1582年?)が、室町時代の末期、今から五百年程前に創始したもので、柳生石舟斎に伝えられ、柳生利厳、柳生連也、以来、連綿と尾張柳生に残りました。
長い年月のあいだに尾張では形の構成や遣い方に幾度かの変遷があり、そのためそれぞれの意義や原姿を求めながら稽古するなかで、古伝に思いをはせる喜びがあります。
柳生宗矩を経て、代々徳川将軍家に伝えられた江戸柳生の流れは、実技の承継としては失伝しましたが、『兵法家伝書』(岩波文庫)という、三代徳川家光将軍へ向けて書かれたとされる伝書でその内容を知ることができます。
このようなカタチで私たちには貴重な伝承があるのですが、新陰流を学ぶうえでの本当の困難が、時代を隔てて現代に生を受けた私たちの側にあります。私たちが慣れ親しんだ言葉や先入観を通じてはなかなか実像が見えてこない、分らないからです。多くの型を学んでようやくまとまった印象、その世界観への愛着が生まれるのですが、そこまで到達するあいだは素直に熱心に稽古を繰り返すことが必要です。さき走ってスポーツの考え方にもとづく理屈や、勝敗・優劣などの価値観を優先したりすると、途中で挫折する、或は曲解したままで新陰流の本姿を見ることなく終わるということになりかねません。
このため入門を誓う入門者に新陰流の道案内の役を果たすべく(戒律と禅定と智慧)の「三学」の入り口として示される太刀(カタ)が『参学円之太刀』です。 これを無心に学ぶことからはじめるのが新陰流への近道だと言われています。
参学「一刀両断」
相手が真向に此方の頭を打ちくるとき、此方はその正中線を
まっすぐに踏み真向の太刀を被せ打つようにして合撃て勝つ
参学「斬釘截鉄」
互いに進み、我から高く相手の胸に付けるところを、相手は
此方の小手を打たんとする、これを上げはずすに、又相手が
揚げたる腕肘を払わんとくるとき、逆勢に太刀を返し下し、
打廃った相手の小手に乗り身をひらき腕を抑える
参学「半開半向」
此方は右を先に平青岸の構え、相手が進み入って左小手を先打
せんとするや、小手を打たれるぎりぎりまで待って相手の
左へ開き相手の剣をまっすぐ超えてのど元を撞いて制する
参学「右旋左転」
互い青岸に対峙、此方が太刀先へつけるやいなや、相手が太刀
を巻き右拳へ打つを、剣を逆勢に外し左隅に足を踏み太刀に隠れ
載り抑える (右旋左転の一部の動き)
参学「長短一味」
互いに青岸で機を伺い突かんとして突けず互いに身を開くや早、
相手が額に詰めて打つを此方は剣を額に捧げ懸け小手を打つ
どうですか。参学円之太刀が少しイメージできるのではないでしょうか。参学円之太刀には多くの新陰流の教えが重なっていますが、他流を学んできた者に新陰流への道案内となる太刀なのです。